今からおよそ140年前のこと、光照寺開創二世 大透融禅大和尚が日高國(ひだかのくに)巡教のために浦河の地を訪れたことからお寺の歴史は始まります。
光照寺二世開創 大透融禅(だいとうゆうぜん)大和尚 は富山県から曹洞宗の布教ために北海道に来ました。
そして当時、まだ曹洞宗の布教がさほど進んでいない日高地方に向かいます。
浦河の地を訪れた際に、現在の所在地である浦河町常盤町周辺に暮らしていた住民の懇請により、お寺の建立を決意しました。
この「常盤町周辺に暮らしていた住民」の方々は、もともと本州にルーツをもつ曹洞宗信徒の方たちであり、先祖代々の供養の為に寺院の建立を強く望んでいました。
賛同する多くの方々の協力を得て、まず本堂を建設しました。
つづいて建設した煮炊きなど生活をする建物・庫裡(くり)は、老朽化したニシン番屋だった建物を移築したそうです。
そうして明治15年(1882)8月、札幌市 中央寺二世 禅外卍宗 大和尚を勧請開山として拝請し、山号を日高山(にっこうさん)、寺号を光照寺(こうしょうじ)と定め、お寺としての歩みが始まりました。
「勧請開山として拝請」とは禅宗の慣習の一つで、新寺建立の際に、師僧や高徳の方にお願いして開山(最初の住職)となっていただき、自身は二世(二代目)としてお寺を盛り立てていくことを指します。
大透融禅大和尚は昭和3年にお亡くなりになるまでの粒々辛苦40年余り、お寺と地域の発展に勤めました。
大透融禅大和尚の本葬の様子



後を引き継いだ、光照寺三世中興 天真祥雲大和尚が書院(照真閣)を新築し、開創期からの建物だった本堂と庫裡の大改修を行いました。
続く四世 天祐耕雲大和尚の時代には、度重なる地震により破損してきた伽藍・庫裡・山門・鐘楼堂・地蔵堂の復旧耐震整備を行い、現在のお寺の形を成しました。
山門には「昔日呵々大笑地 人工加無類禅林」という廉が掲げられています。

昔日呵々大笑地
人工加無類禅林
そのむかし 笑ってしまうほどの荒れたこの地に
多くの人が力を合わせ 他に類を見ない禅のお寺を建てた
野生動物が巣を作る未開拓の土地に建った『山の中のお寺』が『山寺』と呼ばれる由縁とされています。
140余年という時間の中で、檀信徒の皆さまをはじめ、数えきれないほどの方々の多大なる御力をもって、光照寺がいまここにあります。
山内点描

~書院(照真閣)~
建築当時のまま現在に至ります

~本堂前~

~開山堂~

~開山堂 道元禅師 御尊像~
歴代住職の御真牌は、開山堂正面 曹洞宗開祖 高祖承陽大師 道元禅師 御尊像の傍らに奉安されています。 左右の棚にお祠りされている沢山のお位牌は、永代供養の祠堂位牌です。

~達磨大師 御尊像~
開山堂前 左陣

~大権修利菩薩 御尊像~
開山堂前 右陣

~山門~

~参道・下段~


~参道・上段~

~本堂前・向拝~




~参道上段・石仏観音像~
開創当時は裏山に小道があり『観音巡り』として石仏観音像が点在していました
「…為先祖代々菩提」と彫られています
信徒の方々がご先祖さまのご供養の為に奉納されたようです


~境内地 少しの高台に建つ 鐘楼堂~


~地蔵堂~

~不動明王尊~
昔の写真
~明治40年代(1910年頃)の写真~




「北海道日高國浦河港光照寺全景」
「日高國浦河町光照寺境内雪景」
開創30周年記念 絵葉書セットの一部

~大正10年代の山門~
随時、写真等 追加してまいります。
